社会

格差と「広告出稿量」の比例という現実。不平等とテクニック

発行責任者 (K.ono)

 長引くデフレ、消費意欲の停滞が叫ばれて久しい日本ですが、それでも「ついつい浪費してしまう」ことで悩む人は少なくありません。

 必要以上に買い物をしてしまったり、ギャンブルをやめられなかったりということでお金が貯まらない、あるいは借金までしてしまう人は一定数います。

現代人の「心の隙間」

 もちろんそれは個々人の金銭感覚の欠如が最大の問題であり、ある種の依存症や中毒で場合によっては治療が必要になります。自己責任が強い世の中においては「自業自得」と断ぜられるのは自然ですし、それが誤っているわけではないでしょう。

 現代は先進国の格差が徐々に拡がっており、それに伴って人々の社会的地位への意識は強まっています。他人の目をより気にするようになり、慢性的なストレスや劣等感を抱くことも少なくありません。

 本来こうしたストレスは人間関係の中で解消、解決していくものですが、『笑ゥせぇるすまん』ではありませんが、そんな現代人の「心の隙間」を、消費財やその供給者、広告業者は巧みに入り込んできます。

 多くの人が抱えるストレスに対する一時的な“対処”として、マーケターは消費や買い物への意欲をかき立てます。社会的地位や所得が少ない人のほうがよりストレスや劣等感を感じやすい事実もあるため、結果的に広告宣伝の影響を強く受けるのは所得が低い層のほうが多いのでは、とも言われています。

不平等が強いほど広告出稿が多くなっている

 それを裏付けるような研究もあります。英国の経済学者リチャード・ウィルキンソンらの著書『格差は心を壊す 比較という呪縛』(東洋経済新報社)では、国ごとの所得格差と「国内総生産(GDP)に対する広告支出の比率」において、不平等が強いほど広告出稿が多くなっていることを示しています。英国や米国、ポルトガルの不平等が強く、日本やスウェーデン、デンマークなどの格差が小さいと出ていますが、広告支出もそれに比例しています。

 英国の心理学者オリバー・ジェームズは、格差の少ないデンマークが「贅沢品や新製品が全く浸透しない」としています。それはデンマーク人が目立つことを嫌うからで、逆にそれらの商品の“旬”が過ぎ、値下がりして大衆向けになると、18カ月以内に70%普及するとしています。

 不平等の薄い社会において、国民のステータスと贅沢品がまるでイコールにならない好例と言えるでしょう。目立ちたがらない国民性というのもあるでしょうが、北欧はとりわけ社会福祉が充実しているので、英米とはそもそも感覚が異なるということかもしれません。

 一方、日本はデンマークほど達観した思考ではなく、SNSなどでの「幸せアピール」や贅沢品の求心力もそれなりに強い印象です。

 北欧と比較して日本では少しずつ格差が開いている(正確には貧困層が増えている)こと、政治への信頼感のなさなど、根底にある問題は深いものがありそうです。米国式の新自由主義や自己責任の思考が浸透し、社会的地位への意識が強くなっているのも大きいかもしれません。

 今後日本の格差が開けば開くほど、広告業界は比例するように規模を拡大するのは確かのようです。
(文/谷口譲二)