大きな企業の不正や巨額損失などは、日ごろ大きなニュースとして注目されるものです。
集団主義とメンバーシップ型
誰もが知る一流企業での不祥事はセンセーショナルで、それだけマスコミも大々的に取り上げます。株価の下落や経営陣の辞任が起こることもあるなど、大企業のネガティブ情報は多方面に影響を及ぼし報道が続くものです。
大企業、特に日本の伝統的な一流企業は、戦後からの集団主義とメンバーシップ型(専門家ではなくゼネラリストが重要視される)によって、過去にはほかに類を見ないチームワークで生み出した工業製品で世界を埋め尽くしました。
ただ、バブル崩壊後の景気停滞によって終身雇用の幻想が壊れ、会社内で柔軟に対応できる人材、メンバーシップ型の人材に対する疑問の声も多く出ています。また、欧米の主流である、専門のポジションで責任を全うさせる「ジョブ型」が日本でも注目され、専門知識や個々の特徴的な能力が重視されるようにもなってきました。
ただ、それでもメンバーシップ型、人員が柔軟に組織内のさまざまな部署で仕事をこなす文化が消えていない大企業が圧倒的に多いはずです。一度作った組織体制を一気に刷新するのはコストも決断の勇気も必要で、なかなか動けないというのは理解できます。変化によって得られるプラスよりも、変化が失敗に終わった際のマイナスをより重視してしまうのが人間の性です(価値関数、損失回避性)。
ただ、このメンバーシップ型がジョブ型と比較してリスキーであることが、心理学的にはある程度証明されているようです。
「社会的手抜き」
スイスの作家ロルフ・ドベリ氏の著書『Think right』(サンマーク出版)では「社会的手抜きのワナ」としてこの傾向を紹介しています。
フランスの農学者・マクシミリアン・リンゲルマン氏の実験では「馬が2頭で荷物を引いても、1頭の時の2倍の働きをしない」ことがわかり、これが人間にも当てはまったとのこと。綱引きでは、人数が増えるほど1人当たりの力が弱まっていくことがわかっています。
馬も人間も無意識に「他人に気づかれないように手を抜く」傾向があり、これを「社会的手抜き」と名付けています。この社会的手抜きが噴出してしまいがちなのが日本のメンバーシップ型です。
社会的手抜きは「同じ条件で同じ行動をする」集団で起こります。日本のように個々人の仕事内容がはっきりと決まっておらず、チームワークによって流動的に仕事をこなしていくのは、言葉を選ばなければ無個性で極めて集団主義な動きと言えます。前述の綱引きと状況が同じと考えれば、社会的手抜きが起こる可能性はないとは言えません。
日本人は勤勉ではあるので他国ほどではないでしょうが、それでも一部の弛緩したメンバーによる大きなミスや損失、不祥事が起こるのはその一端といえるかもしれません。『Think right』では、人は集団にいると「行動」で手を抜くだけではなく「責任を1人で追わなくてもいい」という考えからエラーを出したり思わぬ行動に出たりするとし、これを「リスキー・シフト(危険な転向)」という名前で紹介してもいます。
個々人の仕事内容や専門性に差がないからこそ起こってしまう社会的手抜き。『Think right』は結論として「個人個人の専門性や業績をはっきりさせることで、社会的手抜きのリスクを取り除ける」としています。建築なら、設計と営業と事務と工事士など役割がしっかり分かれていることで、個々の責任が軽くなることもなく成果も評価しやすいということです。これがまさに欧米主流のジョブ型でしょう。
ジョブ型は個人主義や能力主義の部分が強く日本には馴染みが薄い部分もありますが、グローバル社会であることを考えれば、否が応でもジョブ型にしていくしかないのかもしれません。メンバーシップ型を継続しても、社会的手抜きを考えてもジョブ型には及ばないのではないでしょうか。
(文/堂島俊雄)