生活

幸福とは感情。世界一フィンランドに見る「幸福度の高め方」と生活満足度との違い

発行責任者 (K.ono)

 日本は長らく、国民の「幸福度が低い国」です。

世界幸福度「6つの項目」

 2021年版「世界幸福度ランキング」では、56位。世界有数の先進国でありながら、あまりにも順位が低いと毎年のように話題になります。上位が北欧の国で占められることから、社会保障が充実している点がランキングに大きく左右されることがわかりますが……。

「World Happiness Report 2021」による世界幸福度ランキングで重要視されるのが、以下の6つの項目です。

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1.人口あたりGDP

2.社会的支援(ソーシャルサポート、困ったときに頼ることができる人がいるか)

3.健康寿命

4.人生の選択の自由度

5.寛容さ(過去1カ月の間にチャリティーなど寄付をしたかなど)

6.腐敗の認識(不満、悲しみ、怒りの少なさ、社会、政府の腐敗が蔓延していないか)

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 こうして見ると「確かに日本は……」と思う人も多いのではないでしょうか。

 4年連続1位に輝いたフィンランドの学者・フランク・マルテラ氏は自著『世界一しあわせなフィンランド人は、幸福を追い求めない』(ハーバーコリンズ・ジャパン)で、常に1位を獲得できることに「この結果はまったく驚きではない」としています。社会サービス、日々の食べ物への苦労、政府の圧力や腐敗など、幸福度を下げる大きな要因がほとんどないからだ、というのです。

 幸福度ランキングの主たるところが「政治への信頼性」なのは間違いないですが、政治が良くなることだけを祈っていても状況は好転しません。そう考えると日本は袋小路のようにも思えるのです。

「生活の満足と幸福はイコールではない」

 一方で、マルテラ氏は「幸福は生活満足だけで得られるものではない」ともしています。「国民の持つ感情で幸福度を見ると、フィンランドは下位に落ちる」としています。フィンランド人が基本的に内向的である点が大きいとの指摘もあります

 また、国民1人あたりのうつ病罹患率で見ると、フィンランドがアメリカと同等でトップクラスになる時もあるとも(一概には言えないとしていますが)。結局「生活の満足と幸福はイコールではない」という結論をマルテラ氏は出しています

 日本は社会保障などへの不満が多いので幸福度は必然的に下がるわけですが、「生活満足度」の大きな部分はやはり収入、と思う人は多いのではないでしょうか。収入上昇こそが生活満足度や幸福とイコールになると信じている人もたくさんいるはずです。

 しかし、マルテラ氏は、収入が日々の暮らしに困窮するほど少ない人の幸福度が著しく低いことを認めた上で「収入による幸福度の上昇は頭打ちになる」としています。北米では9万ドル程度、欧州でも10万ドル程度で幸福度が頭打ちになるというデータを紹介しています。ちなみに日本と東アジアでは、2018年の調査で楽しみや笑顔といったポジティブな感情と相関する所得は6万ドル(約660万円)をピークに頭打ちになることがわかっています(Nature Human Behaviorより)。

日本で「とりあえず幸福」の割合

 政府が社会サービスを充実させること、そして収入が660万円(といっても日本の平均を考えると高額ですが)になることが、日本における幸福、生活満足に求められる基準ということになります。少なくとも幸福においては収入に関して数千万円数億円を稼ぐ必要はないことが理解できます。

 しかし、今の日本で上記を達成するハードルの高さは多くの人が感じるところでしょう。格差が拡がっている今、日本において「とりあえず幸福」になる割合は思った以上に少ないのでは、と悲観的に思わずにはいられません。

 ただ、マルテラ氏は「1960年から、西欧社会では幸福は社会的目標ではなく、個々人が自分の責任で追求すべきものになった」とも語っています。マルテラ氏に言わせれば幸福は単なる「感情」であり、資本主義社会における広告宣伝などの影響力も相まってその感情が増大し、「幸福を追求するという不幸」に陥っていると指摘します。

 幸福とは感情――社会が助けてくれない今の日本では、自分の価値観や確たる指針を有することでのみ、強く幸福を追い求める状況から抜け出せるようになるのでしょう。「人間は幸福を追い求めなくてもいい」と思うことが、実は個々人の気持ちを前向きにすることと言えるのではないでしょうか。ただそれが、欲望から来る挑戦する精神やチャレンジングな姿勢を失わせることにつながるのであれば、それも問題ではあるのですが……。
(文/堂島俊雄)