思考

交通事故「選択的注意」から“ながらスマホ”の危険性を考える

発行責任者 (K.ono)

 2019年に起こった池袋の自動車暴走事故において昨年、飯塚幸三被告の禁固5年が確定しました。

「選択的注意」

 飯塚被告は控訴せず、刑を受け入れることになりました。世間からは事故後の発言や「上級国民」というワードなどから多大なるバッシングが降り注ぎました。

 今回の件は高齢者の自動車運転に関する世間の議論を呼ぶものでしたが、年齢に関係なく自動車事故というものは運転するすべての人にそのリスクがあるものです。

 飲酒運転は論外としか言いようがありませんが、わき見運転などは誰しもに可能性があります。「注意1秒怪我一生」ではありませんが、瞬間的な判断ですべてが変わるということもあります。

 この「不注意」というのはなかなか厄介なもので、認知科学的にも運転を危険にする要素が人間にはあります。

 それが「選択的注意(選択的知覚)」という考え方です。

 例えば大人数のパーティでそこかしこで談笑をしていても、少し離れたグループの会話に耳をそばだてると不思議と会話が聞こえるものです。また、パーティの中で2人で会話していると、周囲がそれなりにうるさくても声ははっきりと聞こえます。これを「カクテルパーティ効果」と言います。注意を向けた音は鮮明に聞こえ、それ以外の音声が排除されるということです。

 人間は身の回りにある多様な事柄の中の「1つ」に注意を向けてしまう、これが選択的注意です。1つの情報に意識を集中させると、他の対象に関しては比較的変化が大きかったとしても気づかない場合も多いのです。これを「変化盲」と言います

 この選択的注意はビジネスなどにも応用されます。例えばダイレクトメールで「“あなたに”大切なお知らせがあります」といった文言など「あなた」というワードに注意が行き、対象者が自分事として情報を受け取る可能性が浮上します

「ながらスマホ」根本解決

 一方、この傾向は「自動車運転」で考えればどうでしょうか。人は数多く注意を払うという行動そのものがそもそも得意ではないということになります。だからこそ細心の注意が必要になります。

 自動車での「ながらスマホ」はよく問題視され時折痛ましい事故を引き起こしますが、それは「片手でハンドル、片手でスマホ」というのが一般的な認識です。

 最近ではスマホを運転席で固定するスタンドなども発売されましたが、先ほどの選択的注意や数多くに注意を向けられない傾向を考えれば、単純に「スマホを持っていない」というだけで根本的な解決には至らないことが理解できます。カーナビなども同じで、画面などに集中することのリスクを伴います。スマホやタブレットを多用する場合は、できる限り助手席に人を乗せたりするのがベストではあるのでしょう。

 思いもよらぬ不注意や自己のリスクというのは、人間の認知科学の面でも常に付きまとうものです。改めて、より運転に対する心構えについては考えなければならないでしょう。
(文/谷口譲二)