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水泳選手はもとからマッチョ? 錯覚の「スイマーボディ幻想」とは

発行責任者 (K.ono)

 昨年開催された東京五輪は、新型コロナウィルスの蔓延による無観客開催、ならびに開催そのものへの批判などもありましたが、世間的にはそれなりに盛り上がったのは間違いないでしょう。

 サッカーや野球など日本のメジャー競技からマイナー競技、新競技までさまざまな競技を楽しめるのが五輪の醍醐味といえます。そんな中、大会序盤に注目されるのが競泳です。

ボディビルなどと比較するとシャープな印象

 大橋悠依さんが200・400m個人メドレーで日本の女性アスリート初の同一大会金メダル2つを獲得し大いに話題になりましたが、期待された選手が思わぬ予選落ちをするなど、全体的には過去大会と比較して低調な結果に終わったとの評価もあります。

 一方で、大橋選手などの姿を見て競泳を志す人は少なくないはずです。競技としてはもちろんですが、健康や筋トレ、ダイエットで注目する人も多いに違いありません。

 競泳選手は皆肩幅が広くマッスルではありますが、ボディビルなどと比較するとシャープな印象があり、非常にカッコイイ。「水泳を一生懸命にやればああいう身体になるのか」と思う人も多いでしょう。

 ただ、実際は「もともと体格のいい人がさらに鍛えた結果、美しい肉体になる」というのが残酷な現実のようです。もともとの体型の良さから水泳をして、その上での努力で結果が出たというのが本当のところでしょう。

「スイマーボディ幻想」

 しかし、多くの人はそうした点から目を逸らし「理想のボディ」を求めて水泳をしてしまうものです。この状態を行動経済学では「スイマーボディ幻想」といいます。

 スイスの作家ロルフ・ドベリ氏の著書『Think right』(サンマーク出版)では、このスイマーボディ幻想についての記載があります。ドベリ氏は「女優の化粧品CMを見て購入してもきれいにはなれない、女優がそもそもきれいだからCMに出られるからだ」など、やや身も蓋もない書き方をしています。

「そんなこと誰でもわかってるよ」という言葉もあるかもしれませんが、意外とそのワナにはまる人は多いのが現実でしょう。人は常に成長したいと本能的に願う生き物であり、「なりたい理想像」に憧れを抱きそれに近づこうとするものです。そして「欲しい結果にしか目を向けない」傾向があると同著では指摘しています。それは水泳に限らず、幸福や収入、容姿などでも同じことがいえるでしょう。

 この「欲しい結果にしか目を向けない」傾向は、それだけ「理想の自分」というのが人間にとって大きいことを示しています。美容整形に信じがたい大金を投じる人がいるのも決して不思議ではないのです。

自分の不完全さを合理化

 1998年の著書『プロパガンダ 広告・政治宣伝のからくりを見抜く』(誠信書房)でも、有名人やアスリートを起用した広告宣伝についての記述があります。そこには有名人が広告において絶大なる効果を発揮する理由として、こう書かれています。

――われわれは「正しい持ち物」を購入することによって、お気に入りの著名人のように「なる」。そうすることで、自分自身の自我を強化し、自分の不完全さを合理化するのである。――『プロパガンダ 広告・政治宣伝のからくりを見抜く』107Pより

 この「正しい持ち物」というのは、商品だけでなく「水泳をする」などの行為にも当てはまるでしょう。「不完全な自分をできるだけ完全にしようとする」のは本能として納得できるところです。

 ただ、そうした欲求は直線的で、実現が可能かどうかを一度吟味する気持ちを損なわせる可能性もあるということです。まずは自分と他人が異なる存在ということ、あらゆる条件が異なるということを意識する必要があるでしょう。そして、それは自分が憧れの悪影響を受けるだけでなく「自分が他人に悪影響を与える可能性もある」ということを意味しています。
(文/田中陽太郎)