現代は非常に変化が目まぐるしい時代です。
先進国の成熟やIT技術の進歩、新興国の発展などにより、変化の速度は年々上がっている印象です。経済もトレンドもエンターテインメントも月単位レベルで変容を続けています。
人も社会も変化が激しすぎる
こうした変化についていくスキルが、この時代で(順応して)生きる上で極めて大切なことなのは間違いないでしょう。変化する状況に対応できる人は職に困ることもなく、高いレベルでの収入も得ることができます。
しかし、技術も求められる能力も高度化する中で、それについていける優秀な人材は限られており、多くの人は変化についていけないでしょう。結果、一部の優秀な人間だけが収入や富の大きな部分を得て、ついていけない多数の人の生活満足度はなかなか上昇せず、それどころか悪化していく……今の日本でもすでにそういった状況に近いと言えるでしょう。
残念ながら能力や努力に必要な集中力などは「遺伝」が決して小さくない割合であるとの意見もあります(橘玲著『無理ゲー社会』(小学館)より)。世の中の常識や価値観が変化に対応できるか否かも、能力であったり器用さがどうしても必要になります。
社会の変化に翻弄されるのは何も人だけではありません。激しい変化によって、社会の制度もまた常に変化させる必要が出てきます。SNSの発達などによって誹謗中傷の問題が噴出し、法的処罰について議論が起きているのは良い例でしょう。この問題も含め、変化した時代に合わせて最善の制度を作り続けていかなければなりません。
極めて流動的な社会
後期近代(1960年〜1970年代)の英国社会学者アンソニー・ギデンズは、近代の特徴を「再帰性」としました。再帰性とは前述のように「社会の変化に合わせて制度も変化し続ける」ことや「社会の変化や自分自身の変化(結婚や離婚、転職など)に対し、個人のアイデンティティを選択し直す」ことであり、変化の激しい近現代はそれが短期的に続く“再帰的”な社会とギデンズは解釈しました。
現代社会は「生きづらい」と考える人が多いです。世界でも類を見ないほど治安が良く清潔で、収入や社会福祉などの面でも相対的に見れば恵まれた日本でもそう考える人は後を絶ちません。
それが経済格差や確実に訪れる超高齢社会、(望まない)長寿への不安などから来るのは否定できません。しかしその一方で、短期スパンで自分のアイデンティティを変革させなければならないことの辛さから生まれる部分もあるのではないでしょうか。
極めて流動的な社会は、ポーランド人社会学者であるジグムント・バウマンによれば「リキッド(液状化した)社会」であり、そうした社会では一貫したアイデンティティを保つことはマイナス(時代遅れになる)の遺産としています。
生きづらい世の中ではアルコールや薬物、性行為などさまざまな依存症が頻発する可能性も出てきます。米国で今もっとも割を食っているとされる白人労働者階級の間では「絶望死(自殺、アルコール、薬物での死)」が問題となっているようですが、まさに社会の目まぐるしい流動性の結果でしょう。
今の社会の変化の激しさ、そしてなぜ生きづらいのかについて考えましたが、今の社会は個々人が確固たるアイデンティティを有することが極めて難しいことが理解できます。
(文/田中陽太郎)