社会

『ジョブ型雇用社会とは何か』本音レビュー。本当の「成果主義」と切り替えの難しさ

発行責任者 (K.ono)

 日本のサラリーマン信仰や企業文化が、グローバリゼーションによって「時代遅れ」「現代社会にそぐわない」など疑問を持たれるようになって久しい昨今。

 私たちは馴染み過ぎているせいで気づきませんが、新卒一括採用、年功序列、終身雇用、組合(後ろから3つは“三種の神器”と言われる)と、日本的経営は世界でも稀な形態です。これがうまく機能した70年代後半~80年代の黄金期には「ジャパン・アズ・ナンバーワン」という言葉も生まれ、世界から称賛されました。

欧米を中心に世界的な主流である「ジョブ型

 しかし、ITやAI分野で乗り遅れた上、旧態依然とした風潮によりグローバリゼーションについていけない大企業が近年は続出。終身雇用や長幼の序を含む年功序列などという日本型経営がその元凶の一つとも言われているのです。

 ここまで話した、新卒で採用し組織内で仕事を変えながら育成をしていく日本的な経営は「メンバーシップ型雇用」と呼ばれています。しかし最近は会社組織の一員として柔軟に動くメンバーシップ型ではなく、欧米を中心に世界的な主流である「ジョブ型」に注目が集まっています。

 ジョブ型とは職務、勤務地、時間、それに見合う給与などの条件を明確に決めて雇用契約を結ぶことであり、雇用された側は「その範囲でのみ働く」というもの。日本でよくある部署異動や転勤、昇進や降格などは基本的にありません。日本では馴染みがありませんが世界ではスタンダード……グローバリゼーションの現代社会を考えれば自然な話です。

 一方、そのジョブ型雇用の仕組みに関し、多くのメディアや有識者の意見が理解が「間違っている」と強く指摘する人もいます。それがジョブ型雇用という言葉・考えの生みの親である、労働研究者の濱口桂一郎氏です。

 濱口氏は著書『ジョブ型雇用社会とは何か――正社員体制の矛盾と転機』(岩波書店)において、従来のメンバーシップ型とジョブ型を比較しています。

 世間で語られるところのジョブ型は「成果主義」の色合いが強い傾向があります。仕事そのものや能力に給与を支払うという点からそうした意見が増えているわけですが、濱口氏は「ジョブ型は成果主義ではない」と断じます。

「ジョブ型は解雇がしやすい」という考え

 ジョブ型はまず最初に“ジョブ”があり、その説明となる職務定義書(ジョブディスクリプション)が存在します。そして、その定義に見合うスキルを持つ人間をはめ込んでいるだけです。つまり、あとはその仕事を遂行できているかどうかしか見られない、という意味で、成果を細かく評価しているわけではないのです。むしろ日本のメンバーシップ型のほうが、スキルだけでなく“やる気”などあいまいな部分も含め、末端社員から幹部クラスまで細かく評価されていると考えるべきでしょう。責任が広範に及ぶ経営層のジョブ型に関しては例外的に仔細な評価が必要になりますが、例外はあくまでも例外。「ジョブ型は成果主義」という証明にはなりません。

 また「ジョブ型は解雇がしやすい」という考えもよく耳にします。濱口氏からすればこれもまた誤解であり、ジョブ型と「解雇自由」がセットなるのは米国のみであるとしています。ヨーロッパ諸国、アメリカ諸国、アジア諸国のジョブ型には大方「解雇規制」があり、決して「ジョブ型=解雇しやすい」ではないのです。日本も含めどの国でも「正当な理由があれば解雇できる」という点で一致しています。

 日本においてジョブ型は「新しい概念」という印象ですが、実際には産業革命以降の世界で主流であり、メンバーシップ型と比較して「古くさい」と濱口氏は表現します。そう考えると、日本人らしい“新しいもの歓迎”や、逆に“変化を恐れる”とは少し異なる対象なのかもしれません。

 ジョブ型は、企業にとって必要な仕事(ジョブ)に、見合ったスキルを持つ人間をはめ込むことであり「採用」ではなく足りないピースを埋める「補充」に近いものがあります。これは「必要なスキルを持った人しか働けない」ことを意味しており、日本の新卒採用を否定するものです。ジョブ型における大卒とは「その仕事をする技能等を持つ証明」でなくてはなりません。

 日本の仕事や採用の慣習で考えれば、なかなか簡単に切り替わるものでないことが濱口氏の主張からは理解できます。また、メンバーシップ型とどちらが正しい云々の議論ではないこともまた確かでしょう。
(文・多和田良平)