社会

米国の「異常学歴社会」と日本の現状…来るべき未来はあまりに厳しい?

発行責任者 (K.ono)

 最近は日本の最高学府・東京大学の在学生や卒業生で構成されたクイズ集団が人気を博すなど、日本においては学歴は非常に大きな意味を持ちます。

進学率は過去最多となる54.4%

 文部科学省の2020年度(令和2年度)学校基本調査(確定値)によれば、中等教育学校後期課程卒業者(過年度卒を含む)の大学・短大への進学率は過去最多となる54.4%(確定値)になるなど、短大含む大学進学への世間の重要度は高まる一方です。

 大卒と高卒で生涯年収に大きな差が出ることもありますが、そもそもリクルートやマイナビの大卒新卒一括採用のステージに、大学に入らなければ立つこともできません。就活の価値に疑問の声も多いですが、大多数の人はどこかに就職することが最初に考えることに違いはありません。

 ただ、当然ながら大学の間にも大きな差があります。知名度も偏差値も高く有名人を多く輩出している大学とその真逆の大学では、社会に出て結果を出せる人材の割合や世間の印象にも大きな差があります。大卒と高卒と同等に大学間の差も非常に大きいのです。有名大学信仰が進む中、No.1である東京大学がここまで称賛されるのも必然といえるでしょう。

米国は「超がつく学歴社会」

 ただ、日本では高卒や中卒の起業家や有名人はまだ目立つ国、という印象もまだあります。「実家が貧乏で、でも頑張って……」というような“ジャパニーズ・ドリーム”の話は時折耳にすることができます。そういう意味ではまだ日本はまだ他国の階級社会のようにはなっていないことがわかります。

 一方で努力と才能で成功をすることが可能だとする米国が、現在は「超がつく学歴社会」として、格差と分断が危険水域にあると、ハーバード大学のマイケル・サンデル教授は著書『実力も運のうち 能力主義は正義か?』(早川書房)で記述しています。

 一生懸命努力すれば成功できる、成功できず貧困になったのは努力が足りなかったからだという厳しい自己責任論が米国には浸透していますが、実際には生まれつきの能力という「運」が高かった人や、恵まれた環境にいる人だけが成功を収められ、逆の人は貧困から抜け出せないのが真実ではないかというこの著書。そして、能力主義の勝者による「自分の力で成功した」というおごりや傲慢が、差別や格差、分断が進む原因と語っています

 そんな能力主義の社会において重要な要素が「学歴偏重社会」であると指摘されています。同著にはオバマ、トランプの両前大統領が自分自身の学歴や知力、または重用する配下たちの学歴などにこだわった点などを指摘していますが、2000年代以降のアメリカは、学歴の高く成功した人が「自分の能力と努力によって得るに値するもの」と思うことで、そうではない他人を「努力をしてこなかった人」と見下す文化が徐々に膨らんでいったといいます。

 実際のところ、米国の有名私立大学の多くは学費が4年間で3000万円近くになるなど、貧困どころか一般層の大半が支払えない金額です。ようは有名大学に入る最低条件は頭の良し悪しより「恵まれた家に生まれること」であり、その点においては運が100%です。知力や努力はその運の土台があってこそのものなのです。

 しかし、米国人の77%がこの社会を「努力が成功をもたらす」「やればできる」と信じており、それによって成功者が「成功したのは運ではなく実力」という思考に偏ることで前述のような見下す文化が加速した、と同著では語られています。急成長中ではあるものの共産主義の中国よりも「チャンスがない国」「人生の地位を向上する可能性が低い国」になってしまっています。

 こうした学歴偏重をサンデル教授は「容認されている最後の偏見」としており、性差別や人種差別などこれまであった差別が禁じられたものとなる中で、学歴が数少ない「人を見下していい部分」という認識が浸透しているということです。これまではそれが当然とみなされてきましたが、能力主義に対する一連の疑問や労働者階級の怒りが、トランプ政権誕生や英国のEU離脱で爆発したということです。

 日本は現段階では米国ほどあからさまな学歴偏重や生まれた環境の運で分断されているわけではありません。しかし大学の重要度が増し格差が拡大し続けており、スモールな形で似通っているのも事実。今、日本は米国の能力主義文化の末路を追いかけているのではないでしょうか。
(文/谷口譲二)