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「リア充」と「プア充」幸福の資本論で人生を考える。現実は甘くない?

発行責任者 (K.ono)

リア充」という言葉は、20代から40代の人なら聞いたことがない方が少ないでしょう。

「リア充」と「プア充」

 この言葉は「リアルが充実している」を略したネットスラングであり、最近人気の西村博之(ひろゆき)氏が創設した「2ちゃんねる」で生まれた言葉です。ネット掲示板が趣味の人たちが、友人関係や遊び、恋人など現実が充実していないことを自虐する意味で使われはじめ、今では一般社会にも広く浸透しています

 こうしたリア充は、特に学生生活で友人関係や集団生活が苦手な人には憧れの存在で、見た目が良かったり、地方ならちょっとヤンキーっぽさがあって女子にモテたりといった人が多いです(マイルドヤンキーとも)。

 リア充は同じくリア充の人と仲良くなり、集団になります。そうしたグループは居心地が良く、そのまま大人になっても関係が続くパターンが非常に多いです

 ただ、学生と違って大人になるとそこに「収入」など経済システムなどが大きく絡んできます学生までは一括りに「リア充」と言えなくなるのです

 ここである種の分断が生じるとする論もあります。それが「リア充」と「プア充」です。リア充は大都市圏の一流企業で働き、友人や恋人もいて現実がきらびやか(に見える)人のことです。一方でプア充は主に地方在住の若者に対象が多く、年収は貧困ライン以下でありながら、友達がいて生活が充実している人を指します。

 さまざま考えはありますが、作家の橘玲氏が著書『幸福の資本論』(ダイヤモンド社)では、人の幸福を階層化した場合、プア充はリア充よりも「下」の階層に位置しています。

プア充は「社会資本のみ」を得ている

 どちらも友人関係が充実している点は同じですが、やはり「収入面」の違いが大きいようです。同著の形式上ですが、リア充は友人や絆、それに伴う助け合いなどの「社会資本」と、収入面や自己実現などの「人的資本」を2つ有しているのに対し、プア充は「社会資本のみ」を得ているという点によるものです。

 人生は思いもよらない出来事が多く、何がしかのトラブルによって友人関係を失うリスクも付きまといます。プア充の場合、友人という「社会資本」を失った際にもう頼るべきものがなくなってしまいます。そうした意味では「2つ持つ」リア充が有利ということになるのでしょう。

 地方都市のプア充は、友人関係を失えば楽しいことは一つとしてなくなる危険もあります。新たな可能性を求めて都市圏に行く場合にも、同著では前述の人的資本や「金融資産」がないとなかなか浮き上がることが難しく、生活コストも急上昇することから真の貧困に陥るリスクも高まるのです

 あくまでも同著の切り分けすべてが当てはまるわけではありません。地方都市で友人関係や絆が充実して金融資産を持つ人はプア充ではありませんし、リア充の人も仕事が忙しくなって友人関係が疎遠になる場合もあるなど千差万別です。実際に「プア充なんて現実と乖離がある。気休めにもならない(キャリコネニュース)」という意見や、実業家の大前研一氏が「社会を維持するコストを負担するのは勤労者だけなのに、負担する気のない“ぶら下がり”の国民が増えていくという現象が長続きするわけはない」と断ずるなど、プア充という考え方に否定的な声も多いのです。

 ただ、自分が今置かれている状況、何がリスクで何が持っているもの(あるいは持っていないもの)なのかを考えるだけでも、身の処し方というのは変わってくるのではないでしょうか。
(文/青田嘉理央)