社会

新書「サラ金の歴史」が面白すぎる…「素人から玄人へ」戦前から現代まで日本社会と寄り添う名著をレビュー

発行責任者 (K.ono)

 2021年2月に発売し、新書大賞2022で大賞を受賞した「サラ金の歴史 消費者金融と日本社会」(中公新書)。

 誰もが使ったことがあるわけではない、でも使ったことがある人も多いサラ金、消費者金融。世間のイメージは決して良いものではないが、大手のプロミス、アコムなどは、現在都市銀行の傘下に入っている。

「個人向け融資」の歴史的変遷を戦前から現代まで振り返る

 サラ金、消費者金融は一言で言えば「個人向け融資」のことであるが、この「個人向け融資」の歴史的変遷を戦前から現代まで振り返るのが本書「サラ金の歴史」である。

 本書で特徴的なのは、とかくダーティなイメージが持たれがち(実際にその側面もあるが)なサラ金を、日本社会全体の変遷でどのような役割を果たしたのかを俯瞰して描いている点だ。日本の家計や企業の動向、さらには「妻」「夫」などジェンダーの時代の変化にもサラ金の進化、金融技術の向上が絡んでくるのが非常に面白い。

 物語は戦前から始まる。現在と異なり「個人間同士の金銭の貸借」が非常に活発で、法定金利以上の高利をとる場合も多く、無利子で貸すというようなことはほとんどなかったという。しかも相手は知人や親戚相手の場合が多かったようだ。

「男伊達」や「侠客」

 その理由は、本業をしつつ、副業で人に金を貸して高利をとる「素人高利貸」が存在したからだ。こうした人々は20世紀に入る頃に神戸市の新川に大量の貧しい人の流入によってできた「貧民窟」で見ることができたという。

 彼らは「男伊達」や「侠客」と呼ばれ、周囲に威張れる存在だったようだ。貸した相手に対し今でいう「マウンティング」をとれるというわけである。今も昔も変わらないというわけだが、現代よりも“仁義”などが重んじられていた部分もあり、仕事の親分が返済の信頼が薄い子分にも貸しつけていたが、それは返済できなければ仕事が回ってこなくなるので、子分としても必死で返済しようとするシステムができあがっていたようだ。

 その後戦争を経て生まれたのが「団地金融」と呼ばれるものである。1955年から現在のUR都市機構である日本住宅公団が設立され、大量の団地が次々に建設。団地は当時の若いカップルの憧れだった。居住するのは「夫婦だけか夫婦幼児だけの世帯で年齢は33歳程度、月収5万4000円程度の比較的安定した企業の勤め人で、子女の教育に関心があり、比較的教養が高く、文化的生活への欲求が強い」というのがボリュームゾーンで、購買意欲や消費の在り方なども似通っていたようだ。これが団地の「生態系」と呼ぶべきものだろう。

 団地家族、特にそこの主婦は競うように冷蔵庫、洗濯機、テレビを購入しており、ステータスを保つのに躍起になっていた。購入は月賦(月の分割払い)である場合も多く、この辺が借金へのハードルが低くなった理由だと筆者は分析している。

 そんな生態系に目をつけたのが、森田国七、田辺信夫である。田辺は「月賦販売のいちばんの客が団地マダムだと週刊誌で読んでピンときた。現金という名の商品もきっと売れる」と感じ、「現金の月賦」という触れ込みで団地金融を創業。予想は見事にあたり、「入居審査をパスした団地に住んでいるならある程度返済の信用ができる」という点もあって貸し倒れのリスクが軽減され、一気にブレイクした。ただ、収入の大部分は夫が稼いでいるという事実の中で主婦しか相手にできない点がマイナス面で、貸し倒れリスクが消えたわけではなかった。さらに団地金融は参入障壁が低く、「顧客は早い者勝ち」の極致。人件費や移動の車両コストが莫大だった。

大手サラ金には「理念」があった

 そして1960年代にサラリーマン金融が登場する。マルイト(現アコム)、プロミス、レイク、武富士など馴染み深い大手サラ金もここで生まれている。

 素人高利貸はそれまで金融業を経ていない人物による創業だったが、大規模サラ金の創業者はいずれも金融業を経て創業した「玄人」である。彼らは「人を活かす金貸し(レイク創業者・浜田武雄)」「信頼の輪(プロミス創業者・木下政雄)」など、理念を掲げていた。美辞麗句にも見えるが、社会システムに組み込まれた「表の金融」にこだわったという。こうした理念と素人高利貸たちが培ったノウハウの融合が現在のサラ金の土台となっている。

 マルイトは貸付の際に連帯保証人を必要とし、プロミスは連帯保証人はとらないがより厳格な審査基準を設けるなど、黎明期のサラ金はそれぞれの手法で貸付を行っていた。対象は高度成長期のサラリーマンであり、主に管理職。財布の紐を妻が管理しており「部下に酒をおごりたい」「レジャー資金が足りない」という当時のサラリーマンの世相や欲求に巧みに入り込み、事業を拡大させた。サラ金は顧客との接待や打ち合わせなどに有用で「出世するまで我慢しろ」と妻にサラ金利用を納得させていた側面もある。「しっかり仕事をすれば、将来的に出世して給与も上がる」という終身雇用、年功序列が強かった時代だからこそのものだ。

「第一次サラ金パニック」

 1970年代に入るとニクソンショック、オイルショックなどで高度成長が終了し低成長期に。世間の不景気にサラ金はサラリーマンのみでなく「主婦」や「家族」も融資対象にし、さらなる成長を遂げる。サラリーマンへの融資から「家族」「家計」を前面に出した広告も増えていった。武富士などはこの70年代から急成長を遂げることとなる。本格的に「サラリーマン金融」が「消費者金融」になったのである。

 現在のサラ金の悪イメージはこの辺から形作られる。高金利、過剰融資、過剰取り立ての「サラ金三悪」という言葉が生まれ、自殺に追い込まれたり身ぐるみはがされたりという生々しい残酷なエピソードも多数登場。「第一次サラ金パニック」と呼ばれる出来事が起こるのである。

 ここまでが本書前半の簡潔なまとめだが、サラ金の歴史が日本社会の変遷といかに寄り添っているか、当時の人々の動向や精神性、ジェンダーがいかにサラ金の“金融技術”に影響を及ぼしたかが良く理解できる。

 サラ金そのものを悪と断じるのは簡単で、決して間違ってはいない。ただ、日本のサラ金が社会の流れの中でイノベーションを絶えず起こしていたのもまた、まぎれもない事実のようだ。
(文/田川徹)