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帯広女性遺棄「同僚教師不倫の果てか」なぜ人は不倫に堕ちるのか、「刺激」の理論とは

発行責任者 (K.ono)

 北海道帯広市の公園の雑木林に女性の遺体を埋めたとして、35歳の高校教諭の男が逮捕されました。

 3日に逮捕されたのは帯広農業高校の教諭、片桐朱璃容疑者(35)で、亡くなったのは元同僚の宮田麻子さん(47)。片桐容疑者は捜査関係者に宮田さんを殺害したこともほのめかす供述をし、2日に宮田さんの遺体が見つかったとHBC(北海道放送)は報じています。

同じ大学で、仲が良くて遊んだりしていた

 一部報道で、2人を知る教え子が「片桐先生と宮田先生は同じ大学で、仲が良くて遊んだりしていた」と証言しており、2人の近しい関係を知っている人は多かった様子。どちらも既婚者で「不倫関係だったのでは」との声が多くなっています。

 男女関係のもつれから今回の事件が起こったのではないか、と言われていますが、すでにメディアでは宮田さんの写真も出回っており、家族などへの影響も懸念されている状況です。

 今回は一般人で最悪の結末となってしまいましたが、昨今テレビや雑誌などを見ていて、芸能人の「不倫」や「浮気」といった報道を目にしない日はありません。

 それらの報道に対して私たちは「やっぱりか!」と納得したり、「あの人が?意外!」と驚いたりと、実に様々な感情を抱きます。

 他人や芸能人は私たちにとって遠い存在であり、その人の内面まで深く理解できているわけではありません。それにも関わらず、私たちはその人に対するイメージや容貌だけで「不倫しそう」と考えるのです。

恋愛は「SVR理論」

 このイメージはどこから来ているのでしょうか。不倫しそうな人とは一般的に、「チャラチャラしている」、「軽そう」といった人物を思い浮かべます。しかし、これはあくまでも私たちが勝手に抱いた不倫に対するイメージにすぎません。

 では、科学的に見て不倫をしやすい人とはどのような人なのでしょうか。

 亀山早苗さんの著書「人はなぜ不倫をするのか」(SBクリエイティブ)の中で、心理学者の福島哲夫さんは、不倫をしやすい人について心理学的に説明しています。

 社会心理学者マースタインは人の恋愛を3つのステージの移り変わりから成るという「SVR理論」を提唱しています。「S(stimulus)出会いから恋愛初期の段階。相手の外見や声、性格や社会評価などから受ける“刺激”が重視される」、「V(value)恋愛関係にあるステージ。趣味や価値観の共有が重視される」、「R(role)結婚や共同生活を始めるステージ。お互いを理解し、補完し合う関係が重視される」。

 恋愛はこれらのフェーズを移動していくことで、相手との関係性が深まっていくという考えです。不倫をする人はこのステップを移動することなく、永遠にSに留まってしまう人。つまり恋愛において刺激を求め続ける人ではないかと福島さんは仮定しています。

 このように考えると、不倫という許されない関係の「刺激」に酔いやすい人が不倫をしやすいといえるのではないでしょうか。例えば、仮に不倫関係が容認された世界があったとしたら、多くの人はここまで不倫に陥らないのかもしれません。

 そう考えれば、SNSなどで「匂わせ投稿」をする人の気持ちも理解できます。不倫のサインを投稿することで、「気付かれるかもしれない」という刺激を楽しんでいるのではないでしょうか。

「過去のアタッチメントの失敗」

 では、このような刺激を求め続けるタイプにはどのような人が多いのでしょうか。持って生まれた個人の性質ももちろんありますが、それ以上に幼少期の家庭環境や愛情へのトラウマなどが恋愛観に大きな影響を与えることが分かっています。

 心理学的には、不倫には「過去のアタッチメントの失敗」が影響を与えていると福島さんは解説しています。アタッチメントとは、心理学や進化学でいうところの「愛着」を意味します。

 子どもが社会的、精神的な発達を正常に行うためには、養育者としっかりとアタッチメントを持つことが大切だといわれています。過去のアタッチメントの失敗が、不倫や夫婦不仲の原因の一つだと考えられています。

 このように、心理学的に見て「不倫をしやすい人」というのは確かにいるようです。そして同時に、現代心理学療法によるアプローチ法も確立され始めているようです。

 しかし、これらはあくまでも不倫の一つの要因にすぎないかもしれません。その人の持つ素質だけでなく、「タイミング」や「出会い」など様々な不確定要素が重なって不倫は起きるものだからです。

 つまり、自分が該当するタイプだからといって必ず不倫をしてしまうと悲観する必要はありません。同時に自分が全く違うタイプだから絶対に不倫をしないというわけでもないことも理解しておいた方がいいでしょう。何よりも、不倫という落とし穴は意外と私たちの近くにあり、誰もが落ちてしまう危険性をはらんでいることを意識しておくことが大切です。
(文/愛知太郎)