社会

広島安芸高田「市議定員半減」石丸伸二市長に賛同多数も「ベストアンドブライテスト思想」も

発行責任者 (K.ono)

 広島県安芸高田市石丸伸二市長と市議会の対立が話題になっています。

 石丸市長は3日、市議会定数を半減するための条例案提出を議会側に伝えました。現在16の定数を8に半減させることを目的としていますが、反対する市議会との対立は深まる一方のようです。石丸市長はもともと就任直後にSNSで「議会中、居眠りする議員が1名」と投稿したことなどでも市議会を挑発していました。

2万7000人程度の安芸高田市で16人

 世間からは概ね肯定的な意見が多く「地方議員はなりたがる人も少ないので居眠りするような人物でも居座れる」「反発は当然あるのだろうが一度減らしてみればいい」「市長、応援しています」といった声が数多ある状況です。

 また、現在の国会議員定数「衆議院465名、参議院245名(令和4年改選以降は248名)」が全国民約1億2000万人に対してということで、人口2万7000人程度の安芸高田市で16人は、やはり比率としては多いという見方もあります。

 こうした話が出てしまうのも「居眠り議員」のような必要性を感じさせない行動をする議員がいること、その上で市議の報酬が年約600万円と地方としては高額など、矛盾した実態があるからに他なりません。

 世間としては政治家に「優秀な人になってほしい」「立派な学歴と正義感に溢れた人がいい」と当然思っているはずです。やる気のない利己主義な政治家がいれば腹が立つのも当然です。

 ただ「洞察力や道徳的人格を含む政治的判断力と、テストで高得点を取り名門大学に合格する力は、ほとんど関係がない」という意見もあります。米ハーバード大学のマイケル・サンデル教授の著書『実力も運のうち 能力主義は正義か?』(早川書房)では、政治を動かす人々の9割超が高学歴である点に疑問を持っています。

 サンデル教授は現在のアメリカが機会の平等を基盤にした「能力主義の社会」であり、国民は才能と努力によって報われ、失敗すれば自己責任という考えが蔓延したことで、格差や分断が進んだとしています。エリート層は自分の努力によって成功したと傲慢になり、成功できなかった人は「自分の努力不足」を認めざるを得ない……こうした残酷な世界に対して労働者階級などがポピュリスト化し、グローバリゼーションを肯定するエリート層と対立。結果的に分断が起こり、2016年にポピュリストの支持を集めたドナルド・トランプ氏が一度政権を奪取するに至ったとしています。

ベストアンドブライテスト

 こうした能力主義に疑いのない時代では、国を動かす政治家がエリート化するのも至極当然です(トランプ氏も経歴はエリート風ですが、実際には叩き上げの実業家と表現するほうがしっくりきます。それも労働者階級から支持された理由の一つとも)。ただ、サンデル教授は「最も優秀な人材(ベストアンドブライテスト)」が統治でも力を発揮するのは“神話”と断じています。

 サンデル教授はジョージ・ワシントンやエイブラハム・リンカーンなど、歴代でも優秀な大統領も「大学の学位を持っていなかった」としています。フランクリン・ルーズベルト大統領が行った、政府が市場経済に積極的に関与するニューディール政策の際に作られたアドバイザーチームのメンバーは、決してエリートの集団ではなかったとの情報も出しています。しかし現在、米国人口の約半数は労働者階級ですが、下院議員で労働者階級の仕事に就いて当選したのは2%未満だと記されています。これはイギリスやドイツなどでも同じ傾向のようです。アメリカの労働者階級はエリートに反発しているわけですから、とりわけグローバリゼーションを重要視する中道左派のエリート政治家には否定的になるというわけです。

 日本でも、まぶしくて目が開けられないほどのエリートたちが政治の中枢にいたり、大物政治家の子息が大臣になったりというのが“主流”です。そして仮に高卒や異色の経歴で政治家として出世する人物は“変わり者”として扱われます。

 日本はアメリカと比較して徹底した平等、能力主義とは言えない国ですが、トップが超高学歴であること、(見栄えとしては)由緒正しい人が政治家になることに多くの国民は疑問を持ちながらもとりあえずは受け入れています。それは「学業優秀なベストアンドブライテストしか政治家にはなれない」と確信めいた感覚からきており、自然と能力主義の発想に近づいているとも解釈できます。それ以外に判断する方法が思い浮かばないとも言えますが……。

 日本も何年かアメリカに遅れて同様の国になっていっているのでしょうか。日本でも分断という言葉は叫ばれて久しいですが、今後トランプ政権誕生、イギリスのEU離脱のような衝撃的な出来事が訪れるのでしょうか……。
(文/谷口譲二)