近年、日本でも格差増大、富裕層とそうでない層の「分断」という言葉がしきりに使われるようになりました。
金持ちはますます金持ちになり、貧乏人は浮かび上がることができない……確かにそう思われる点は多々あります。金銭的余裕があればあるほど子どもはより高度な教育を受ける権利が増大しますし、いわゆるお金持ちが(特別に案内された)上場株購入などで得たキャピタルゲインの税金は20%程度で所得税よりも割安など、資本家に有利な状況は数多存在します。
悪いのは外的要因のせい?
そうした恵まれた環境で育った人に限って「自分の実力でここまで成功した」と考えてしまいがちです。実際には生まれた家がお金持ちだった点が大きかったり、親や指導者の教育が素晴らしかったりと多分に運の要素があるものです。しかし、エリートの多くはそう考えることがなかなかできないものです。
また、逆に生育環境の運が悪い場合では「うまくいかないのは環境のせいだ」「悪いのは外的要因のせい」と思いがちです。それが決して間違いではないのですが、そうした環境の良し悪しに囚われている間は、決して前に進むことはできません。結果、何の変化もない現状に留まることになります。
双方に共通しているのは、そう考えるほうが「心地いい」からです。成功を自分の力として認め、うまくいかないことを周囲のせいにしたほうが自己肯定も高まり楽なのです。こうした人間心理を「自己奉仕バイアス」と言います。テストの点数の良い悪い、占いの結果などでもこの自己奉仕バイアスは起こり得ますが、今回は社会的な観点でこの言葉について考えます。
自己奉仕バイアスはエリートのおごりを生み、そうではない層を卑屈にしてしまいます。ただ「前向きに努力ができるかどうか」という点が重視された世の中では、卑屈になってしまうことが問題とされてきました。環境のせいにせず、自分の努力で道を切り開くべきであると。
ただ、今の時代ではこうした論理を正当化することが苦しいとの指摘もあります。あまりにも生まれの格差が開き、個人の努力でどうにかなるレベルではないということです。
「自己奉仕バイアス」の心理
これは日本よりも米国で顕著であり、米ハーバード大学教授のマイケル・サンデル氏の著書『実力も運のうち 能力主義は正義か?』(早川書房)では、努力や才能など、個人が自分の成功に責任を持つ「能力主義」が格差や分断の原因であるとしています。
米国は日本をはるかに超える学歴社会ですが、ハーバード大学など米国の有名大学は非常に学費が高く、恵まれない層の人はそもそもステージに立つことすらできません。自分で成功に責任を持つ能力主義の社会ながら、能力を磨くことができるのは選ばれた人のみという矛盾が生じているのです。しかし、前述の通り人間は「自己奉仕バイアス」の心理があり、能力主義の勝者は決して運を認めることはありません。
一方、恵まれない層は少しその様相も変わってきました。ドナルド・トランプ前大統領の当選やブレグジット(イギリスのEU離脱)は、なかなか浮かび上がることができない労働者階級の不平等への怒りの象徴とサンデル教授は語っています。今の米国の格差社会は、単なる自己奉仕バイアスでは対応しきれないほどの不平等があるということです。
日本も徐々に格差は開いており、近い将来米国と同じような怒りが蔓延し思わぬ政治的動きや恵まれない層の暴動が十分にあり得るのではないでしょうか。
(文/谷口譲二)