日本の問題として広く認識される「ブラック企業」という文化。
過剰労働、その上での低賃金や保障のなさなど、会社の都合だけで社員が働かされる企業は少なくありません。時には誰もが知るような大企業でも、過剰労働などによる自殺や労災の話題が上ります。
「認知的不協和」
しかし、ブラック企業が成り立ってしまう理由の一つに「それでも社員がやめないから」という点は事実として否定できないでしょう。退職して新しい仕事を見つける難しさなどもあるかもしれませんが、それだけではないという考えもあります。
人間は「自分の選択や状況を肯定的に捉える」傾向があります。ブラック企業の場合であれば、きつい仕事をしながら報われない状況に対し、自分の中で「やりがいはあるから」と、肯定的に捉える傾向があるのです。これを「認知的不協和」と言います。
誰でも自分の選択が正しいと思いたいものです。しかし、行動と結果の矛盾等で起こる不快な感情を逸らすことで、例えばブラック企業での労働が継続し最終的に体調を崩すなど取返しのつかない結末にもつながりかねません。認知的不協和を意識することは、先にあるリスクを回避できる可能性があります。
わかりやすい例が「買い物」です。
誰もが何かしら商品を購入後「あれ、思っていたのと違う」「意外と使えないな」と、想定していたような満足感を得られなかった経験はあるでしょう。どんなに慎重に選んでも使用感や満足感がイメージ通りということにはなかなかいかないものです。インターネット通販が浸透した現代では、そうした例はより増えているのではないでしょうか。
マーケティングとブランディングのプロである橋本之克氏は、“いい買い物”をテーマにした著書『9割の買い物は不要である』(秀和システム)で、買い物における認知的不協和について記述しています。
橋本氏は、買い物において「自動車の広告を熱心に読むのは、買おうとする顧客ではなくすでに購入した顧客である」とし、人が買い物をした後、自分の選択が正しかったという確信を欲しがるといいます。
また逆に、自分の購入した商品等に対してネガティブな論調があった際には「その論調の誤りを探す」傾向にもあるようです。自分の選択や行動に一貫性を持つ論理的な存在でありたいと願うからこその行動でしょう。
正当化をする心理
新型コロナウィルス蔓延における外出自粛が長らく話題になりましたが、外出するのは(ムードとして)良くないことと理解していても「ストレスが溜まって病気になるよりマシ」「外出したから必ず感染するわけではない」とポジティブな理由をつけて外出を選択する人は多いです。これもまた「外に出るべきではない」状況と「外に出たい」という認知的不協和を解消するための思考にあたります。
今年9月、webメディア『SEVENTIE TWO』(Minimal)で「いよいよ始まった「反動消費」 対象はラグジュアリーブランド?」という記事が出ました。「海外渡航できない欲求不満がラグジュアリーブランド消費に向かっている。これは富裕層でも、上位中間層でも同様の動きだ」として、長引くコロナ禍の自粛や移動制限がラグジュアリーブランドの購買につながっているとのことです。
数十万円~百万円単位もザラであるラグジュアリーブランドの商品ですから、反動消費だとしても購入を最後まで悩んだ人も当然多いはず。しかし「我慢したご褒美」「本当は海外旅行で使うはずだった」などの正当化をする心理が働いた部分もあるでしょう。
働くことでも生活スタイルでも買い物でも、多くの場面で認知的不協和というのは存在します。橋本氏は「認知的不協和による不快感は判断を誤る可能性がある時に生じるアラート」であり、認知的不協和そのものが悪いのではなく、それを無視したりなかったことにすることが問題だとしています。
(文/谷口譲二)