所得が少ないサラリーマンが大多数の中、巨万の富を得る一部の経営者や投資家も……日本の「格差増大」が社会問題として取り上げられる機会も多くなっています。
「苦をもたらす5つの欲」
確かに収入の差というのは、それぞれの生活を大きく分断し、まるで異なる世界のような違いがあります。収入が多ければ多いほど自分や家族の生きる上での選択肢は増え、収入が少なければ逆に限られた生き方しかできないのも事実といえます。金持ちがどんどん金持ちになっていく社会システムは確かに問題かもしれません。
ただ、仮に収入が少なかろうが多かろうが、本人のマインド次第では「同じ悩み」を抱えてしまう可能性は非常に高い、という指摘があります。
それが仏教でいうところの「苦をもたらす5つの欲」です。
財欲、色欲、食欲、名欲、睡眠欲で構成される「5つの欲」。前述の収入面の話は財欲の部分になりますが、お金を求める理由は別としても「財産やカネを求める欲」は、仮に金持ちになったからといって消えるものではないです。
スイスの作家ロルフ・ドベリ著『Think Clearly』(サンマーク出版)では、人は「自分に近しい人に対抗意識を持つ」という傾向があると指摘しています。
人は年齢や環境、暮らしぶりなどが近い人物と自分を比較し、嫉妬の感情を起こすとのこと。収入が低い人物は同年代や収入が同じくらいの人と自分を比較し、対抗する傾向があるということです。逆にどんなにお金持ちになっても、自分よりさらに収入を得ている人物を意識するようになり、対抗意識から「もっと稼がなければ」という気持ちが出てきます。
他の色欲や名欲なども同じでしょう。結局のところ自分自身と近い状況の人を意識してしまうのですから、個人の根底のマインドが変わらない限りは、富豪になろうが有名になろうが美人の奥さんをもらおうが真の幸せを得ることはなかなか難しいと「苦をもたらす5つの欲」は示しています。
カルロス・ゴーン氏も「自己完結」できず
「そうはいっても、金があったら幸せになれるでしょ」という意見があるのも理解できます。確かに金銭的な余裕がもたらす安心感は小さなものではありません。しかし、その論を打ち消すような事件も時折起こるのです。
2019年、公金の私的流用事件で逮捕・起訴され、その後レバノンに亡命し世間を大騒ぎさせた「ルノー・日産・三菱アライアンス」の元CEOカルロス・ゴーン氏。
彼は過去、大規模なリストラ実行などで大きな注目を浴び、経済界に独特の存在感を出していました。複数国籍を持つ人物としてグローバルな観点から、日本の大企業の経営者の中でも頭一つ抜けた役員報酬(年間で15億円~)を受け取っていました。
報酬額には批判も多かったのですが、本人としては「グローバル企業と比較すれば高くない」というスタンスでした。その意見はとりわけ間違っているわけではなく、米国のメガIT企業の経営陣で100億円超の報酬を得ている例も少なくありません。
しかし、仮にゴーン氏が「自分は自分」といい意味での自己完結をしていれば、果たして日本社会で突出し過ぎてやり玉になるような報酬を受け取っていたでしょうか。
結局、欧米の社交界でも有名だったゴーン氏は、知り合うグローバル企業の経営者への「対抗意識」や「嫉妬」を引き起こしていたのではないでしょうか。それが賛否両論の高額報酬につながり、最終的には私的流用につながってしまった、ということです。
「小欲知足」
仏教には「小欲知足」という言葉があります。「多くを欲しがらず、与えられた環境を受け入れる」という考えです。決して「ほどほどが一番」と語っているわけではなく、前述の「苦をもたらす5つの欲」を意識してバランスを取る人生を歩むということにつながります。
金はあまりにも万能であり、つい「お金が世の中のすべて」と錯覚する人もいます。しかし、こうした例を見ていくと「金=幸福」と断定することも簡単にできるものではないということがわかります。
しかし、今の社会はその「5つの欲」のバランスをとるのが難しい状況にあります。特に日本は協調の精神から周囲を見渡す傾向があり、それによって「他者と自分の比較」が生じやすいのも事実でしょう。
それぞれが自己を肯定するため、まずは人間の内面と傾向を個人単位で学ぶことが第一歩といえるのではないでしょうか。幸せのために金や名声だけを追い求めるのは、幸福の観点から見れば本末転倒といえるでしょう。
(文/堂島俊雄)