メディアでよく語られる、企業等の不祥事。組織ぐるみのものもありますが、社員や幹部の横領事件なども時折報じられます。
「まさかあの人が」
実際、こうした事件の加害者の多くは、周囲から見れば「アノ人はやると思った」「以前から怪しい、悪い噂があった」という見方がある一方で、「まさかあの人が」「会社にものすごく貢献して信頼を勝ち得ていたのに」と驚かれる人も少なからずいるのが現実です。
会社に限らず、凶悪事件や好感度の高い有名人の不倫騒動など、世の中で衝撃的なニュースが起きると、容疑者を知る人々がテレビ局などのインタビューで「挨拶のできるちゃんとした人という印象だった」「人当たりのいい、立派な人だと思っていた」などと発言する場面を見たことがあるでしょう。外の印象とは真逆の行動をして問題を起こす人は決して少なくないのです。
それはなぜか。こうした傾向の裏には「自分は立派な人物だから」という驕り、それに伴う「だから、このくらいの(悪い)ことは許される」という思考が働きがちだからです。これを社会心理学では「モラル信任効果」といいます。
「モラル信任効果」とは、自分自身が会社組織や社会に大きく貢献していることを認識している場合に「これだけ役に立っているのだから、多少は倫理を欠いた行動をしてもいい」と無意識的に錯覚してしまう傾向をいいます。
社会や組織に貢献する中で、社会的に決まっているルールではなく「マイルール」を作ってしまうのが、優秀な人こそ陥りがちです。これまでの多くの会社不祥事も、強すぎる「マイルール」によって成り立っているように思います。
「免罪符を得た」と錯覚
また、学校の教師も同じことがいえそうです。今でこそ世間が騒ぐようになって少しはマシになりましたが、女子生徒への(今なら)セクハラと言われても仕方のない行為やえこひいき、部活動などでの体罰などが当然のようにありました。
これも、教師という職業が「聖職者」といわれていたことが大きい部分があるでしょう。自分が社会的に強い意義のある仕事を頑張っているのだから、多少の暴力行為や横暴はまかり通るはずである、と。特に学校教員という生き物は社会人経験が基本的にありませんから、世間知らずからよりそうした傾向になりやすいものと思われます。
実際、より社会的に価値ある仕事であればあるほど「従事する人のパフォーマンスが下がる」という海外の研究もあるようです。最初から社会への強い貢献があると、不思議と人は「手を抜いてもいい」と思う傾向がある、「免罪符を得た」と錯覚するということです。
今仕事が、自分の行動が立派で生活がうまく回っている人ほどハマりそうなこの落とし穴。それはつまり、一般の多くの人が陥りやすい傾向ともいえます。
やはり「このくらいは許されて当然だろう」と思う瞬間瞬間に、一度立ち止まって考えることが必要でしょう。それ以前に謙虚な姿勢を忘れないこと、そういった瞬間に自分を諫めてくれる人を遠ざけず大切にすることなど……やれることはたくさんあります。
逆に言えば、どんな人にもすぐ近くにある危険な傾向だからこそ「モラル信任効果」を避けるのは簡単ではなく、だからこそ二重三重の対策や心得が必要といえるかもしれません。
(文/堂島俊雄)