生活

「働くことの意義」を仏教で考える…重要な思考「中道」とは

発行責任者 (K.ono)

「あなたはなぜ働くのか?」という問いに、多くの人はどう回答するだろうか。

「生活するための収入」

 多くの人が「生活するための収入を得るため」と回答するはずだ。日本の大半は組織から給与を分配されて生活するサラリーマン。日本はそれなりに税金も高いので、働いて少しでも多くの所得を得ようと思うのは当然で、仕事を失うことは生活にダイレクトにダメージを与える場合が多い。「生活するための収入を得るため」というのは、切実かと当然の回答といえるかもしれない。

 収入こそが仕事の目的、ということは「大金が転がり込めば会社をやめる」「仕事内容自体はどうでもいい」「仕事はつまらないものと考え、金を得る手段」という思考になりやすいだろう。

 お金を仕事の第一義にすると、どうしても「どん詰まりな思考」になりがちだ。しかし「それが現実だから仕方がない」という意見もごもっともである

 この思考に関し『ビジネスに活かす教養としての仏教』(PHP研究所)の著者・鵜飼秀徳氏は、仏教の「中道」という観点から心的な解決策を提示している

「中道」とは、釈迦が最初の説法を行った「初転法輪」の中にある言葉、考え方である。それは「この世の苦から解放されるためには、両極端に行かず、中道を行くこと」という意味で使われている

「バランス感覚」を意識する

「中道」は決して「ほどほどにする」ということではなく、あくまでも「バランス感覚」を意識するということだ。これも「初転法輪」にある言葉だが「八正道」があり、「正業(正しい行い)」「正しい生活(正命)」「正しい努力(正精進)」「正しい意識(正念)」「正しい注意(正定)」「正しい見解(正見)」「正しい考え(正思唯)」「正しい言葉(正語)」というもの。これらをバランスよく実践することが大切としている

 ドイツの哲学者フリードリヒ・ニーチェは、「代替性不可能な一回性の人生こそが、人間の運命」とし、「その運命と敢然と受け入れて、強く生きていく人間がいる」とした。彼はそうした人間を、強く生きたい、立派でありたいと立ち向かう「超人」と呼んでいるが、結局のところ、前述の「八正道」の実践にもこの思考は必須である

 限りある自分の人生を満たすため、今ある運命を受け止め、それに敢然と立ち向かう意志が必要ということだ。それを実践するために「中道」という考え方が重要になる

 今、社会の変化は目まぐるしく、AIの発展などで「シンギュラリティ(AIが人類の知能を凌駕すること)」も早晩起きるとされている。その革命によって起こるのは「これまであった仕事の代替、消滅」だ。

 シンギュラリティが自身の仕事にダイレクトに影響した場合「生活するための収入を得るため」とすると、途端に土台が瓦解してしまう。シンギュラリティに限らなくても、定年後にやりがいや生きがいを見いだせない年配世代は非常に多い。仕事の意義が「お金」に縛られている場合、こうした状況に陥りやすくなるだろう。

 無論、この問いは不変のもので正解はない。ただ、こうした思考を巡らせながら「働くことの意義」と「死生観」を見つめることで、収入だけに縛られず、バランスのよい寄りかからない生活を送れる一歩になるのではないだろうか。
(文/田中陽太郎)