思考

ロナウドもメッシも…「努力できる才能」動かぬ事実も「普通の人」は当てはまらない?

発行責任者 (K.ono)

 昨年、サッカーのセリエAのユベントスからイングランドプレミアリーグのマンチェスター・ユナイテッドに12年ぶりの電撃復帰を果たしたポルトガルのクリスティアーノ・ロナウド選手。

「努力=才能」とは思わない

 世界的スーパースターで、アルゼンチンのリオネル・メッシ選手と10年以上にわたって評価を二分してきました。36歳になった現在でも持ち前の決定力や存在感は健在です。

 ロナウド選手は、プレーで残した数々の伝説ももちろんですが、世界でも指折りの“ストイックさ”でも非常に有名です。徹底した食事管理とたゆまぬトレーニングによって怪我をしない鋼の肉体を保ち、年齢を経てもそのパフォーマンスを落としていません。

 その極めて高次元のプロ意識を見習う人、憧れる人、マネするアスリートはサッカーに限らず多数いるはずですが、本当にそれを継続できる人はごくわずかでしょう。世界的サッカー選手で遊びや不摂生により太ったりパフォーマンスを落としたりという話は枚挙に暇がありません。

 人と違う努力ができるロナウド選手はその「人格」や「人間力」も賞賛されるわけですが、多くの人は「努力=才能」とは思わないでしょう。ロナウド選手は卓越した才能に加え、努力をしているのだと。つまり努力は別の領域にあると考えるはずです。

 もともとの知能や運動能力に加え、人間力や「やり抜く力」があって初めて人は成功するという考え方は今も強くあります。それは「生まれついての能力ですべては決まらない」という信念があり「成功には知能や運動能力より努力が大切」という考えに行き着くわけです。これは、メリトクラシー(能力主義)という言葉を作った米国の社会学者マイケル・ヤングも「メリット(能力)とは知能+努力」としています。

 ただ、この努力にも「遺伝的側面」があるのではないか、という考えもあります。チャールズ・マレー著『Human Diversity』では、「性格」「社会行動」「能力」「精神疾患」における総計1455万8903人の双生児を対象にした数多の研究から明らかになった「遺伝の強さ」が記されています。

 学歴や認知、計算などいわゆる知能に直接かかわる部分はどれも遺伝率が50%を超えています。その点はまだ予想がつきますが、先ほどからの努力にかかわる「やる気」が57%、「集中力」も44%、「健康への気遣い」も43%と、イメージ以上に遺伝率が高いことがわかります。

遺伝の能力だけで人生が決まるわけではない

 こうした数字は、世の中に「頑張れない、努力できない人」が確実にいるということを表しています。本人が努力したくてもできない、生まれつきの部分があるということです。

 しかし、世の中は「能力だけで人生は決まらない」という風潮があり、それはイコール「頑張らない人間は認められない」という考えにつながります。仮にある人が生まれつき頑張れない性質だとしても、その人は社会にとって支援したり同情したりする価値はない存在になってしまうのです。

 遺伝の強さを考えれば、親や教育が子どもに与える影響は人が思うよりも小さいものなのかもしれません。

 ただ、諦めるしかないのかと言えばそれも異なります。

 遺伝というのは良くも(素晴らしい才能や運動能力)悪くも(凶悪犯罪への志向)極端なほうが強く生じやすいことがわかっています。

 ということは、多数の“普通の人”の血族は、遺伝した能力だけで人生が決まってしまうわけではないとも言えます(逆に、努力だけでどうにもならないとも言えますが)。こうした残酷な事実を受け止め、どう生きるのかを考えるのが、充実した人生の第一歩と言えるかもしれません。
(文/谷口譲二)