ここ数年、SNSによる誹謗中傷やそれに伴い有名人が自死した問題を含め、ネットにおける問題が取り上げられる機会が増えています。
行き過ぎた中傷や悪口に有名人が自ら反論、注意喚起をすることも珍しくなくなりました。一方で一般人の間でも、簡単に世間に拡散されるSNS利用は常に中傷を受けたり攻撃されるリスクにさらされており、年齢を問わず「取り扱い注意」なのは間違いないでしょう。
SNSの使用こそが人生の満足度を大きく下げるのでは
スマホやタブレットの隆盛、SNSの発達によって私たちの暮らしは大きく変わりました。人と“接続”することがいとも簡単になり、つながりをこれまで以上に強く感じることができているはずです。
しかし、物質的に豊かになり、便利になり、つながれるようになった現代で、それに比例して「幸福」になったかはまた別のようです。
いえ、むしろSNSの使用こそが人生の満足度を大きく下げるのでは、という見解すらもあります。アンデシュ・ハンセンの著書『スマホ脳』(新潮社)では、SNSの代表格であるフェイスブックを例にこの点を指摘しています。
これにはさまざまな理由があるとされていますが、大きくかかわるのが人との「比較」です。子どもたちにおいては、かつて自分との比較対象はクラスメイトくらいでしたが、現在はインスタグラムでクラスメイトの私生活が見えるにとどまらず、有名なインフルエンサーやお金持ちのきらびやかな生活、同年代の見ず知らずの人の自慢すら簡単に目に入ってしまいます。これらが「良い人生」のモデルケースとなってしまい、当人たちが自分は恵まれていない、不幸なのではないかと不安になる可能性を高めるのです。
何千万人単位で行われる「幸せの張り合い」
もともと人間は他人と比較しがちな生き物で、そのたびに一喜一憂しています。資本主義によって格差が大きくなる現代の先進国では、より社会的地位や他者比較に目が向きがちだと、英国の経済学者リチャード・ウィルキンソンらの著書『格差は心を壊す 比較という呪縛』(東洋経済新報社)では語られています。
SNSによる何百万、あるいは何千万人単位で行われる「幸せの張り合い」は、人間の社会的地位への意識、それに伴う快感や屈辱をより大きなものにするに違いありません。社会のヒエラルキー上位にいることである程度精神が安定するのは間違いなく、そうなると出世争いや自己欲求のみを優先する人が溢れ、殺伐とした世の中が進行してしまいます。
また、タチが悪いのは99%の人はSNSでの「幸せの張り合い」で充足感を得ることはできません。なぜなら常に自分より賢い人、自分より金持ち、自分より美人、自分より成功している人が存在し、そうした人との比較が終わることはないからです。それが、SNSにおいて最終的に自己肯定感が下がったり自信をなくしたりする理由とも言えるのではないでしょうか。
『スマホ脳』では、フェイスブックとTwitterのユーザーの2/3が「自分はだめだ」と感じており、10代の若者1500人のうち7割が「インスタグラムで自分の容姿へのイメージが悪化」し、20代でも「自分に魅力がない」と半数近くが感じたと言います。利便性と引き換えに、多くの人たちは自尊心などをSNSから奪われているのでは、とアンデシュ氏は語っているのです。
わざわざ利用する意味があるのか
ただ、SNSによって明らかな精神的悪影響を受けるのは一部の人々であり、生活にマイナスが出る人は少数派という研究結果もあるようです。多くの友人とつながることで自信を持てた人も少なくないとのこと。
一方で、SNS内で消極的(他人と交流はせず、“見る”専門の人)な人はマイナス面が多いとされます。コミュニケーションをせずに周囲を見ているだけでは、結局のところ満足は得られず、見せかけの自慢などを重く受け止めてしまうこともあるのではないでしょうか。
SNSで多くの友人とつながり、リアルでもSNS内でもつながりを楽しめる人にとっては、フェイスブックのツールとしての価値は大きいのかもしれません。一方、自分に自信がなく、ただ友人の生活を確認して一喜一憂し、個人的な投稿をするためだけならば、SNSをわざわざ利用する意味があるのか……一度考えてもいいのかもしれません。
(文/和田立)