思考

職場のパワハラが「許される」条件? 学校実験でわかった「ブルーマー(才能を開花させる人)」の特徴

発行責任者 (K.ono)

 職場での上司によるパワハラやセクハラ、暴言などで精神を病んだりという事例は後を絶ちません。

「厳しく教え込まなければ身につかない」といった声

 パワハラと教育の境界線や基準は非常に難しい部分がありますが、やはり苛烈な暴言や態度で追い込むのは論外と言えるでしょう。

 とはいえ、世の中には「厳しく教え込まなければ身につかない」「我慢や努力が足りない」といった声もまた少なからずあります。ここ最近はそうした風潮もだいぶ変わってきた印象もありますが、日本の常識として何十年と染みついた考えは消滅には至っていないのです。

 厳しく指導することが許されるためには、ある前提条件が必要です。それが指導者に愛情があるかどうか。人間はこうした部分を敏感に感じ取るので、愛情がなければ単なる罵倒や憎悪にしか見えないものなのです。耐性のある人であれば別ですが、基本的には深く落ち込む人が多いのではないでしょうか。

 こうした(愛情の見いだせない)苛烈な指導や行き過ぎたパワハラがなぜ間違っているのかを具体的に証明するエピソードがあります。

 米ペンシルベニア大学ウォートン校教授であるアダム・グラント氏の著書『GIVE&TAKE 「与える人」こそ成功する時代』(三笠書房)では、人を育てる上での重要な研究についての記述があります。

 同著では「ギバー(人に与える人)」こそが成功するという前提で、そのメソッドや成功者の傾向が記されています。その中にあるのが「自己成就予言」と呼ばれる考えです。

「可能性を信じる」ことの効果

 その研究では、米ハーバード大学の心理学者ロバート・ローゼンタール氏が、幼稚園から小学生の子供たちが集められ、ある知能検査を受けさせます。その結果から選ばれた20%の「ブルーマー(才能を開花させる人)」が、その後学年が上がるにつれて本当に成績が向上し、IQも平均12ポイント上昇したと言います。

 この結果を聞くと、ローゼンタール氏の「才能を見抜く力」や知能検査の精度のすごさを感じさせますが、実はこの「ブルーマー」はローゼンタールが無作為に(適当に)選んだ子どもたちだったのです。

 この実験は才能を見抜くことではなく、指導する側が「生徒の可能性を信じる」ことの効果を測ることを目的にしています。ローゼンタール氏によって「ブルーマー」に選ばれた子どもに関し、指導する教師は「この生徒はブルームなんだ」と信じ、その前提で期待や教育を施しました。期待をかけられた子どもは「他人からの期待を感じ、その期待に沿うような行動をとって結果を実現しようとする」のです。これこそが自己成就予言です。

 ローゼンタール氏の研究は、その後米軍や会計士の学校などでも同様の結果にも役立てられたと同著には記されています。部下や指導する生徒を向上させようとする時、大切なのは彼らに「期待を抱くこと」こそがとりわけ重要であることを示しています。

 優れた管理職や教師というのは、自然にこうした思考や言動ができるものです。

 他方、パワハラで部下を追い込んだり体罰を是とする教師は、基本的に「自己欲求」が先に立ち、他人に対し期待ではなく「自分に害を与えないか警戒」しています。それは、自分自身が隙あらば人から奪おうとする「テイカー」だからこそでしょう。やはりパワハラを「指導」とするのは基本的に誤りであることがわかります。

 簡単ではありませんが、どの人にも才能や可能性があるという前提に立つこと、親身になって与えることが、厳しい指導をする上でも必要と言えるかもしれません。
(文/堂島俊雄)