思考

サッカー「自国だから応援」に象徴。内集団バイアスは差別を生むきっかけにも?

発行責任者 (K.ono)

 今年のビッグイベントと言えば、サッカーのカタールW杯。日本代表も出場が決定しており、先日のサッカー王国ブラジルとの親善試合も大いに盛り上がりました。

「自国のチームだから」応援する

 しかし、今年の冬まで行われていたアジア最終予選においては、一時「出場が厳しい」と言われるほど追い詰められたのも事実です。これまでの予選が楽だったとは言いませんが、不思議と安心感があったのも事実でしょう。しかし今回は初戦をホームでオマーンに敗れ、その後も手放しで称賛する試合が少ない状況です。森保一監督の解任論も決して少なくはない状況です。

 いつになく“アブない空気”があるからか、逆に応援したり「最終予選を見なきゃ」という人も多いはずです。どんなに批判的でも「自国のチームだから」応援するというのは多数の人の感情としてあるでしょう。

 それは国でなくても細分化されます。「地元のクラブチーム」や「町の選抜チーム」であれば出身者は応援するでしょうし、高校野球の甲子園大会で出身県の代表校を応援したり結果が気になる人も少なくはないでしょう。

 こうした共通点のある集団を自身と「同化」させるのは、人間の顕著な傾向と言えます。人は太古の昔から集団で生活をしているため、自分を特定の集団にフィットさせたり贔屓にしたりするのは自然な思考なのです。

 ただ、現代社会においてこうした傾向はバイアス(偏見)となり、決して良い側面だけではありません。サッカーでも国同士の対決でファンや選手同士の中傷が問題になったり、欧州サッカーではライバルのクラブチーム同士の試合では、暴徒化した「フーリガン」が話題になることもしばしばです。スポーツであればまだマシかもしれませんが、これが国籍の差別や偏見、理由のない争いにつながるリスクもあります。

「内集団バイアス」が差別を生む

 なぜこうしたことが起こるのでしょうか。自分が共通項を見出した集団と同化することによる思考の歪みを「内集団バイアス」と言いますが、これは「知り合いでもなく集められ、その中で単純に半分ずつ分けられたグループ」でも、自分が属したグループに意味もなく愛着や同質性を見出すことを、英国の心理学者ヘンリー・タジフェルは発見しています。それほどまでに集団へのバイアスは強いのです。この例は極端ですが、多くのグループは一定の価値観を共有している場合が多く、そのグループ内では批判もされません。

 その上でさらに問題なのが「外集団バイアス」です。当然ですが、自分が属する内集団と比べれば外部のグループのほうがメンバーや文化に対する知識はありません。そうした状況になると、外集団は非常に“無個性”に見えてくるものです。

 無個性になると、そうした相手に対し勝手なイメージを抱くことになります。その大半は「ステレオタイプ」なものや先入観が強いものになりがちです。自分の属するグループの価値観とのズレはこの時点で非常に大きなものとなり、結果的にぶつかった時に争いや敵意が生まれやすくなります。

 自分たちのいる集団の文化や価値観だけを重視すると、いつの間にか世間の常識や正しい道筋からズレたり、他の集団への偏見などにつながるリスクを抱えこむことになりかねません。

 集団の中でも自分の中で思考のバランスを保つ意識をすること、それが難しい状況であれば、思い切ってその集団を出ることも必要かもしれません。極端に言えば、サッカー日本代表を大人数で応援していて、そのグループが対戦相手に侮蔑や人種差別をしている姿を見た時に自分はどうするのか……ということです。
(文/藤沢修郎)