思考

原因を「一つ」に絞りたくなる理由…問題の本質を見失う「誤謬」

発行責任者 (K.ono)

 昨年10月、衆議院が解散し、月末には衆議院選挙が行われました。

 結果はともかくとして、争点は主に格差是正、デフレ脱却など経済に関するものでした(今後も当面そうでしょうが)。経済格差が拡大する中で貧しくなる国民が増え、ごく一部が富む状態が今後も続いていく……米国などで起こっている問題が日本でも具現化しているとして、注目されるのは必然と言えます。

経済停滞や貧富の差が生まれた「原因」

 そんな中、よく議論されるのが、こうした経済停滞や貧富の差が生まれた「原因」です。「長引くデフレ」「非正規雇用の増大」「IT技術の遅れ」「ひとり親の増加」「都市部と地方の賃金格差」「少子高齢化」「日本型雇用が時代遅れに」などなど、さまざまな理由があげられます。

 経済のような極めて大きな問題でなくとも「なぜこの事業が失敗したのか、逆になぜうまくいったのか」や「なぜこの試合に勝てたのか、負けたのか」「なぜ自分はモテるのか、モテないのか」などでも、要因となる理由はさまざま考えられるはずです。

 そして多くの人は「最大の原因」を探ろうとします。何がもっとも大きな原因であったのか、もっとも結果にインパクトがあった事象は何だったのかと考えてしまうものです。

 ただ、こうした思考は大概の場合「誤り」とされます。これは人間がもっともやりがちな誤りの一つであり「単一原因の誤謬」です。

 2020年より世界を騒がせた新型コロナウィルスに関しても「中国のせいだ」「日本に広まったのはダイヤモンドプリンセス号が……」「緊急事態宣言の意図が不明確で……」など、日本においてもパンデミックに関しさまざまな意見が出て、蔓延の原因を特定しようとしました。

単一原因の誤謬

 しかし、こうしたウィルスとの闘いが人類史という側面もありますし、理由を一つに絞るのも土台不可能なのです。つまり、ほとんどの出来事は「すべての要因が相まって生じるもの」だということです。

 単一の原因だけで個人であっても社会であっても大問題が起こるわけがなく、何かと複合的な要因があるもの。特定理由を定めてそこをことさら問題視したりその人を責めたりするのは、問題の本質を見失わせることにつながります。

 ただ、物事の明確な成功、または失敗というものに対し、人は結果を一部の要因や個人に求めがちです。成功はあの時がんばった自分が大きかった、または失敗は自分ではなくあいつのミスがあったからだ、あの機能を持ってきた自分のおかげだ……などなど、単一原因の誤謬というのは個々人の「権力」や「欲望」にも大きく絡むため、いまだ人類が克服できない問題点と考えることすらできます。

 勝者や敗者、成功者と失敗者など、世の中がわかりやすく二分化されてしまうのも、はっきりとした原因(と考えてしまうもの)を見出しがちだからこそ生まれる概念と言えます。そしてそうした動きには数多の“意図”が絡み合っているため、簡単に克服できないものなのです。

 何か問題起こった時、要因と考えられるものをできる限り書き起こしたり思い返すこと、そしてその背後にあるつながりを意識するクセを身につけるメリットは、思いの外大きいのかもしれません。
(文/谷口譲二)